初心者向け「FX」

勝つヒントはここにアリ!【FXのルーツ】

こんにちは〜
じゃがでん です!

働き方改革で加速する副業ブーム!
そんな中、副業でもFX(外国為替証拠金取引)
は大人気です。

 

そんなFXは一体どのようにして
生まれたのでしょうか?

FXのルーツを探ることで
勝つヒントを見付けられるかも?

できるだけ
わかりやすく!見やすく!そして
詳しく!を目指してまとめてみました。

世界経済から見たFXのルーツ

日本にFXが輸入されたのは1998年の法改正がきっかけでした。
FXの誕生は更に昔になります。
ルーツを探るには、戦後の世界経済の混沌の状況を知る必要があります。

ブレトンウッズ体制

ブレトンウッズ体制とは
世界大戦が終結を迎えようとしていた1944年、アメリカ、イギリスが中心となり決められた、国際金融と貿易の枠組みのことです。
これには「金兌換制」が採用されました。

金兌換制度とは(きんだかんせい、gold conversion)

金本位制度(gold standard)とも言います。

一国の貨幣制度の基礎となる貨幣(日本では「円」)を「本位貨幣」と言います。

金兌換制は、この本位貨幣の価値を決めるため、一定量の「金(きん)」と等しい価値として定める制度です。

金は純粋な元素でできた鉱物です。錬金術でもない限り、誰にも一から元素を作り出すことはできないので、これを世の中のあらゆる価値の基準にしようという考え方です。

この頃は実際に世界の中央銀行それぞれが法的に金兌換(金(きん)との交換)を保証しているとともに貨幣の価値を保証している状態でした。今とは違い相場が存在しなかったのです。

ブレトンウッズ体制の内容は、金1オンス=35米ドルという固定相場を各国で承認し米ドルを公に世界の基準通貨として認めることでした。

米ドルも固定相場とする部分が、これまでの金兌換制と異なる点です。

ラムネ
そもそも
ブレトンウッズ体制の目的は
なんだったの?
それは
戦後の経済的秩序のための
「自由貿易」だよ

この自由貿易は
大戦を二度と引き起こさないため
そして
戦後の経済的秩序
に不可欠とされたんだ

じゃがでん
ラムネ
ふ~ん
自由貿易ってそんなに大事なの?
すごい大事だよ!
今では結構自由が当たり前だけどね
一次大戦~二次大戦の間
植民地をもった国々が
自国の利益の為だけに
植民地との閉鎖的な貿易を
はじめたんだ
(=ブロック経済)

これは
世界経済の流動性を妨げ
植民地を持たない国々を
追い詰めた・・・
第二次世界大戦の一因になった
ともいわれているんだよ

じゃがでん
ラムネ
え~
なんかくだらないことで
戦争するんだねぇ
この頃はどの国も貧しく
自国を守ることに
必死だったんだよ

他にも
「為替相場切り下げ競争」なども
第二次大戦の反省点
とされているよ
各国は自国の為替相場を
競うように下げて
輸出をアップ、輸入をダウン
しようとしたんだ

じゃがでん
ラムネ
え?なんで
為替相場を下げると
輸出入が変わるの?
しかもそれって
なんか意味あるの?
自国の為替相場が下がると
貿易相手国は少額で大量の
貿易品を購入できるでしょ?
逆に貿易相手国は自国の品を
輸出しにくくなる
この時代、どの国も工業化により
モノが大量に作られ、
それを輸出することが
豊かになる条件と考えられて
いたためだよ
じゃがでん
ラムネ
なるほど~
わかったような。。。
色々複雑なんだね~

ブレトンウッズ体制では、他の主要貨幣は米ドルとの交換比率を固定されました。

ちなみに「ブレトンウッズ」の名称は、各国(戦勝国)の代表が集まったホテルの名前が由来です。

ニクソン・ショック

ブレトンウッズ体制となり、しばらくの間、世界は金兌換制度の枠組みの中にありました。

しかしそれも1971年のニクソン・ショックで瓦解が始まります。

ニクソン・ショックとは
当時のアメリカ大統領ニクソンがTVとラジオで新経済政策を発表したことで起こった一連の変化のことです。発表された政策の中でも一番の衝撃を世界に与えたのが「金兌換の禁止」です。

この頃のアメリカは「輸入超過」の状態であり、これにより大量のドルが海外に流出、その分を補うために大量のドル紙幣の発行をおこないました。その結果、金(きん)の準備量をはるかに超えてしまい金兌換が保証できない状態に陥っていたのです。金兌換が停止したということは、ドルを金(きん)に換えることができなくなったということです。

言うまでもなく世界の為替市場は大混乱となります。

ニクソン・ショックと呼ばれる理由の一つは、この発表が米議会や諸外国に一切知らされずいきなり発表されたためです。

これにより諸外国、日本も含め、変動相場制に移行していきました。

これで実質、30年続いたブレトンウッズの固定相場制はほぼ崩壊。

しかしまだこの時点ではドルは基軸通貨として固定相場でした。

スミソニアン合意

ニクソン・ショック以後、主要国通貨は固定相場制を離脱し、変動相場制または二重相場制(固定相場制と変動相場制の併用)に移行していきましたが、この時はまだ変動相場制は暫定的な措置と考えられており、レート調整が済み次第、固定相場制に戻す方針でした。

そこでレート調整として開かれたのがスミソニアン会議です。

ニクソン・ショックが1971の8月、スミソニアン会議が同年12月。

再度ブレトンウッズの固定相場体制を立て直すためです。

しかし、スミソニアン体制も発足後半年で瓦解が始まり、約2年しか続きませんでした。

ドルの信頼は回復できなかったのです。

イギリスポンドが投機的な売りを浴びて変動相場制に移行。その他各国もまた徐々に変動相場へ切り替えていきました。


以後、完全相場変動制を維持しています。

これが現在の世界全体で統合された通貨市場の始まりです。

その後、1970年代には2回のオイルショックが起こります。

高騰した石油資源により膨大なオイルマネー(ペトロダラー)が、できたばかりの世界通貨市場に一気に流れ込みます。

こうして世界通貨市場の流動性が高まりました。

その後・・・
世界最初のFX取引が1990年代にアメリカでおこなわれたのです!

まとめ

いかがだったでしょうか?

FXのルーツを知ることで、より一層FXを好きになっていただけたなら嬉しいです。

今回は世界経済の観点から、どのように為替が変動相場になったのか、ということを紹介していきました。が・・・肝心のFXの話や日本の話は?と思っておられるかと思います( ゚Д゚)

次回は日本にFXが導入された当時のいきさつに焦点を当てて、FXの歴史を除いてみることにします!今日はここまでで勘弁してね☆

以上、じゃがでんでした~

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