こんにちは〜
じゃがでん です!
今回は、為替が変動相場になったあと、日本でFXの取引が活発におこなわれるようになるまでにどのようなことが起こったのか、歴史をたどっていきます。
FX年表でまず全体を把握
年代 | 日本 | 世界 |
1940 | 敗戦し焼野原 Occupied Japanの時代 「外国為替及び外国貿易管理法」 |
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1950 | サンフランシスコ講和条約(1952) 西側諸国の一員として独立を果たす |
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1960 | 再建の時代 | |
1970 | 繁栄の時代 | |
1980 |
改正外為法(対外取引を原則自由化) バブルの時代 |
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1990 | 苦悩 経済停滞(失われた20年)
新改正外為法 |
アメリカで世界最初のFX取引 シンガポール・香港でFXが流行 |
2000 | 苦悩 経済停滞(失われた20年)
FXがネットと共に徐々に普及 金融先物取引法を改正(2005) 信託保全の義務化(2009) |
アメリカで不動産バブル
サブプライムショック リーマンショック ギリシャ財政破たん |
2010 | レバレッジ規制:最大50倍
規制強化:最大25倍 |
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2020 | ??? | ??? |
FXって結構新しいんだね
個人でまともにできるように
なったのはここ数年のことなんだ。
年々FX人口が増加傾向なのは
日本の法整備のおかげと
ネットの恩恵による便利さが理由
と考えられるよ
最初に定着してしまったFXの
悪い印象が徐々に払拭してきた
のかもね~
時代背景の補足:「失われた20年」
日本の失われた20年の背景には冷戦終結による自民党の瓦解があります。
1989年ベルリンの壁崩壊、続くソ連の崩壊。
1955年に自民党が誕生した目的は、共産主義や社会主義ではない「資本主義国家」として日本を再建することでした。その背景は、冷戦下で西側陣営の一角を守ることでした。
冷戦が終わったことで目的を失った自民党は瓦解していきます。
・小沢一郎の脱退
・小泉政権の誕生(「自民党をぶっ壊す」が公約)
この政治的混乱および経済停滞の時代が「失われた20年」なのです。
ただし、見方を変えればこれまでの日本は共産主義にならないためにはアメリカの同盟国として自民党を支持するしかありませんでした。冷戦終結によって開放され、初めて自由に政府を選べるようになったともいえます。
この頃、ロシア、中国、ブラジル、インドなどの新興国が世界経済の表舞台に。欧州も勢力拡大のため経済を統合(EURO)。アメリカは脱工業化、ITと金融技術により更に経済成長を遂げます。日本が世界に後れをとった時代でもありました。
時代背景の補足:2000年代のアメリカ
アメリカで起こった「不動産バブル」「サブプライムショック」「リーマンショック」はすべてつながっています。
不動産バブルが「バブル」だと気付き始めたのは2007年頃。住宅価格の上昇に陰りが見え始めました。するとサブプライムローン(信用が低い人向けのローン)の返済が滞るようになっていきます。
このサブプライムローンは、いわば利用者を巧みにだますように複雑に証券化されていました。すると今度は証券自体に信用がなくなっていきます。
リーマンブラザーズは大量の証券を保有していたため信用を失い2008年に破綻。
結果、投資家たちの資金は比較的安全と考えられている「円」へと流れました。
日本でFXが解禁された背景
1998年、新改正外為法により、個人の為替取引が日本で初めて可能になりました。
それまでは、戦後の1949年に施行された「外国為替及び外国貿易管理法」(通称:外為法)により為替取引は原則禁止。為替取引は法律によって厳しく制限されていました。
その理由は「通貨の安定のため」。自国経済が安定していない状態で他国の通貨が大量に流入すると国内産業に影響を及ぼし経済成長を阻害すると考えられていました。
その後、日本の金融業の立ち遅れが危ぶまれ1980年の改正により対外取引が原則自由化されましたが、この頃はまだ実際に取引できるのは銀行等の金融機関に限られていました。公正な取引の管理、非常時の規制発動などが考慮された結果です。個人や企業も金融機関を相手にする場合のみ取引が認められていました。外貨投資といえば、各銀行が提供する金融商品(外貨預金、外貨MMF)だけでした。
このような、外国為替公認銀行 (通称:為銀)に取引を集中させるべき、という考え方を為銀主義(ためぎんしゅぎ)と呼びます。
1990年代、日本の経済が成長・グローバル化するにつれ日本の高度成長時代でもてはやされた「ものづくり」は限界を迎え、サービス業や金融業にシフトしていきます。今までのアメリカやイギリスを見ても「脱工業化」は以後の経済成長に欠かせない要素と考えられます。日本の規制を緩和しなければ金融業の立ち遅れ、東京市場そのものの地位が低下してしまう恐れがありました。
このような時代背景の中、このままでは世界から遅れを取ると予見した日本が取った政策が1998年の新改正外為法でした。これは為銀主義の撤廃、外国為替市場が個人投資家に開放されたことを意味しました。
日本初のFX会社
日本で初めてFXのサービスを開始したのはダイワフューチャーズ(現在のひまわり証券)。
当時はマージンFXという商品名で電話での取引が主だったようです。
(インターネットがまだ普及していなかった)
また個人投資家向けとはいえ最少入金額は300万円。最少取引金額は10万円単位と敷居が高く、いわば富裕層向けのサービスであったと言えます。
ネット環境と金額的な敷居の高さからも予想できるように、当時はあまり普及しませんでした。
その後も続々と商品先物取引を扱っていた業者がFXに参入していきました。
商品先物取引とFXはどちらも「証拠金」を使った取引であるため似た部分があったためです。
インターネット時代到来!FXブーム
2000年頃からインターネットの普及に伴ってFXの知名度が上がっていきました。
それまでの投資といえば「長期投資」が主流であったため、FXは毛色の違うもので人々の興味をそそります。
個人が、しかも自宅で、数億単位のお金を稼げる。当時はかなり衝撃的だったことでしょう。
インターネットの普及はこのような夢のような情報の拡散と、オンライン取引の両面からFXを後押ししていったのです。
悪質な業者が出現
その後も認知が高まっていき、証券会社、ブローカーなどネット取引関連への参入者が増えていきました。
この頃、FXブームに目を付けた悪徳業者や、単純に質の悪いFX会社が多く存在しました。
どんなワルいこと
してたの?
預かったお金を勝手に使ったり
持ち逃げしたんだ
2000年代初頭、当時は法規制がままならない状態で、文字通りの無法地帯でした。
当時のスプレッドは今の数十倍が当たり前。
FX運用の知識もまだ確立されておらず安易に手を出し資産を失う素人が続出しました。これがニュース等でも取り上げられ、FXのイメージダウンにつながりました。
FXに関する様々な法整備
2005年 | 金融先物取引法の改正 悪徳会社の取り締まりに着手 すべての業者に登録を義務付けました。 また、登録義務だけでなく、金融庁の認可が必要となり、認可の下りない悪徳業者は営業できなくなりました。 結果、功を奏し悪徳業者の排除に成功しました。 |
2007年 | 金融商品取引法の改正 FX取引に関する法律は「証券取引法」でしたが金融商品が多岐に渡ってきたため法律をひとつにまとめました。 以下が統合 ・外国証券業者に関する法律 ・有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律 ・抵当証券業の規制等に関する法律 |
2009年 | 信託保全の義務化 信託保全とは、FX会社が倒産した場合、預金が返還される仕組みです。 これにより投資家が保護され参入しやすくなりました。
FXは当然損をするリスクあり!
元本保証とは違うから注意だよ じゃがでん
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2010年 | レバレッジ規制(日本)最大50倍 |
2011年 | 8月規制強化 最大25倍 |
インターネットの普及とこれらの法整備によりFXは一大ブームとなりました。
2010年代はキャリートレード(円を売って外貨を買うこと)が積極的に行われたため円安が進みました。
レバレッジ規制の目的は?
レバレッジ規制には以下の目的がありました。
・投資家保護
・FX会社の保護
・独占的な取引の防止
これにより、それまでレバレッジを売りにしていた業者はレバレッジとは違うサービスを強化するようになりました(スプレッドを低く設定するなど)。
これはあくまで日本国内の規制です。例えばアメリカのレバレッジは100倍まで、イギリスは実質無制限です。自由で自己責任な海外諸国と、おせっかいな日本。どちらが正しいのかは今でも意見の分かれるところ。
まとめ
いかがでしたか?
FXは様々な問題を解決して
ようやく今の形に落ち着きました。
今の整った環境でFXを始められることは
本当に幸運なことですね!
FXの歴史はまだ始まったばかり。
ビジネスは「先行者優位」!
何事も早く始める程それだけアドバンテージがあります。
未開の領域をあなたも切り開いて資本主義を攻略してみませんか?
以上、じゃがでんでした~